
THEME
「平成の牛若丸」「技のデパート」といった二つ名で親しまれ、唯一無二の存在として角界を沸かせた舞の海さん。引退後は解説者に転身し、バライティー番組にもご出演されるなど、お茶の間でも不動の人気を誇っています。角界、芸能界と2つの業界で華やかな成功を収めた秘訣とは?サラリーマンから経営者に転身し、買取業界での快進撃を続ける平野社長がその極意に迫ります。
First part
前 編
一度きりの人生
夢追わずして何になる
平野
舞の海さんの魅力といえば、小柄な身体で倍以上も体格の大きな相手を倒してしまうところですが、体格差というのは私たちの想像以上にハンデがあると思うんです。力士になるという夢に迷ったことはないのですか。
舞の海
一度、教師になろうと思ったことがあります。山形県の教員免許も取得していました。
平野
舞の海さんの授業、面白いだろうなぁ。
舞の海
すごく厳しいかもしれませんよ(笑)
平野
ぜひ受けてみたいです(笑)。でも、教師の道へは進まなかったのですね。何かきっかけはあったのですか。
舞の海
大学相撲部の後輩の死がきっかけです。同郷出身というのもあって、本当に可愛い後輩でね。彼は、僕とは違って身体も大きく、足腰もしっかりしていたものですから、相撲部の期待を一身に背負っていました。大成する日を心待ちにしていましたよ。...突然いなくなってしまうなんて、今でも信じられない気がします。
平野
そうでしたか。
舞の海
葬式で彼のお父様が「相撲なんか取れなくていいから、生きていてほしかった」と号泣する姿を見て、自分は、本当に教員になることで満足できるのか、相撲をとって生きていきたいんじゃないのかって思ったんです。それで、「一度きりの人生、自分の一番やりたいことをするぞ」って決心しました。
平野
力士になるという揺るがない想いの原動力は、そこにあったのですね。
舞の海
そうですね。力士を引退してからも、「夢追わずして何になる」という言葉は大切にしています。


「楽しい」と「楽」は違う
たのしいことがしたいなら
ラクばかりしてちゃダメ
平野
祖父の影響で小さい頃から相撲が大好きで、毎場所の大相撲中継・名古屋場所には毎年通っていますが、舞の海さんがプロ入りされて、はじめてテレビで拝見したときは度肝を抜かれました。取り組み以前に、土俵入りから明らかに身体が小さい。こどもながらに「これで勝負になるのかな」と思いました。多分、僕以外の視聴者の多くがそう思ったと思います(笑)。でも、キレのある動きと粘り強さで、倍以上も大きな力士を土俵に這わせてしまう。まさに「小よく大を制す」。しびれましたね。
舞の海
ありがとうございます。僕自身も土俵に上がるまでは、「こんなに大きな相手に勝てっこない、怪我をしたらどうしよう、もういっそ逃げてしまいたい」としょっちゅう思っていましたよ(笑)
平野
全くそんな風には見えないです(笑)。そこからどうやって気持ちを立て直すんですか。
舞の海
もう一人の自分が現れるんです。弱気になっている自分に、「負けているのは体だけ。体が大きくても、弱点はある。そこを攻めれば勝てる。どう攻めるか、勝ち方をイメージするんだ。」と、こんな具合に話しかけてくるんです。そうすると、スーッと心が落ち着くんですよ。
平野
もう一人の自分は、いつから現れるようになったのですか。
舞の海
プロになった頃からかなぁ。
平野
なにか理由があるんですか。
舞の海
うーん、稽古の仕方が変わったからかもしれませんね。大学までの稽古は監督やコーチ、先輩が、勝つためにどんな稽古をするべきかを教えてくれて、一生懸命ついていけば強くなれた。でも、プロはなにも教えてくれません。「なにをしたら強くなれるか」必死に自分で考えるようになるわけです。
平野
言われたことをやっていればいいという環境から、自分で考えて実践するようになるというのは大きな変化ですね。つらかったですか。
舞の海
それがものすごくたのしかった。相手をよく見て、取り組みの癖やスタイル、ウィークポイントを分析しては、それに勝つにはどう挑めばいいかイメージを膨らませました。その通りに勝てたときは痛快でしたね(笑)。
平野
わかるような気がします。入社から1年くらい経った頃、自分で考えてやらなきゃいけないことが多すぎて、上司の指示や教えに従っていればなんとかなるという状況は楽だったんだなと痛感しました(笑)。でも、すごくたのしかった。苦労も多かったですが、自分で考えたことがカタチになるのはワクワクしましたね。
舞の海
「ラク」と「たのしい」は漢字は一緒ですが、全然違いますよね。
平野
たのしいことがしたいなら、ラクしてちゃいけないのかもしれませんね。
等身大の自分と向き合い、
自分にできることを考える
平野
舞の海さんは「技のデパート」という二つ名をお持ちですよね。猫だましや八艘飛びなどの奇策はイメージトレーニングの中で生まれたものなのですか。
舞の海
そうですね。相撲って身体が大きくて力が強ければ勝てるというものじゃないんです。相手の弱いところや、意表を突いた作戦を組み立てることも大事。「小柄な体でも、勝ち筋を見つけられれば勝てる」と思って必死に頭をひねっていましたね。
平野
当時、多くの相撲ファンが「次はどんな技でくるんだろう」と胸を高鳴らせていましたよね。
舞の海
ありがとうございます。
平野
それにしても、この発想力はどこから生まれるものなのですか。
舞の海
とにかく得意の左下手を取りたい、そのためにはどうしたらいいかを考えているだけなんです。ただ、自分より大きな力士が取る戦法を真似していても、小柄な僕に勝ち目はない。「自分の得意な型にしたい」その結果が奇策のような戦法になったということです。だからこそ、「自分には何ができるか」を考え続ける努力は人一倍していたような気がします。
平野
目的を達成するために、あらゆる手段を考えて、自分らしいスタイルで挑むという考え方は経営者にも当てはまる気がします。
舞の海
そうなんですか。
平野
はい。僕は「10社起業すれば1社は当たるだろう」と思って、いきなり2つの事業を起業したんです。幸い、そのうちの1社が今の会社なんですけど(笑)
舞の海
随分大胆な試みですね(笑)
平野
そのとき、自分のスタイルにあっている10のアイディアをひねり出す発想力や引き出しの多さを手に入れることが、いかに大変で、大切かということに気づきました。もちろん、奇抜であればいいというものではないし、当たればいいというものでもない。その経営者の考えやビジョンに筋が通っていて、皆が納得できる目的や手法だからこそ、受け入れられると思うんです。
舞の海
たしかに、そうですね。
平野
とはいえ、僕は舞の海さんほどストイックに考え続けることは出来ないので、すぐ人にアイディアを聞いてしまいますけれどね(笑)
舞の海
それもまた、1つの戦い方だと思いますよ。
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PROFILE

1968年青森県生まれ。日本大学相撲部で活躍後、1990年に出羽海部屋に入門、初土俵を踏む。小柄ながらキレのある多彩な技で倍以上の体格差がある力士を倒してしまう姿は、相撲ファンのみならず、全国のお茶の間を沸かせ、「平成の牛若丸」「技のデパート」の愛称で親しまれた。三役の小結まで昇進し、1999年の九州場所後引退。2000年からはNHK専属の大相撲解説者を務めている。現在はスポーツキャスターや講演会講師としても活躍の場を広げている。著書には『小よく大を制す!勝負脳の磨き方』(扶桑社)、『大相撲で解く「和」と「武」の国・日本』(KKベストセラーズ)などがある。

1979年愛知県生まれ。
大学卒業後、大手100円ショップSeriaに約10年勤め、独立。株式会社XOを立ち上げ、代表取締役社長に就任。日本古来の文化や芸術への深い造形を活かし、古美術や骨董品の買い受けを行う「古美術昇華堂」や貴金属やブランド品などの買い受けを行う「ベストフレンド」を運営。2020年9月1日には屋号を「MONO LOOP株式会社」に改めた。
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